パカフェス新刊『月の館にて』本文サンプル
パカフェス2025新刊の本文サンプルです。
コピー/A5/表紙込み18P+遊び紙/全年齢/200円
クロクロの世界観で、チェーニィに住む二人の話です。
月明りの差し込む館から離れられないゴーストがハーフリングの客人と出会って、ゴーストになった自分について発見したり、喪った記憶の欠片を手に入れたりする話。
月の宿
天の高みに達した月の光が、館の窓を照らす。泡や歪みの多い硝子が光を一層やんわりと広げ、寝室で眠る人影を優しく撫でた。その感触で、トリィは毎夜目を覚ます。
月明りに触れられるはずはなく、陽光と違い肌に感じるほどの温度もないはずなのに。どうしてかしら、と何度目かの疑問が浮かぶ。
「ほんとうに不思議」
でも、なんとなく納得もしている。
「わたくしも、触れられない存在なのだもの。そういうもの同士、通ずるものがあるのかもしれないわ」
豊かに波打つ黒髪に、夜空色の瞳。真白の肌は宵闇に青褪めている。身に纏うのは首まで詰まった貞淑な黒のドレスで、同色の色で刺繡を施されたそのスカートはふわりと広がった裾が透けている。その先にちらりと見えるはずの靴もまた、どこにも見当たらない。
世界には多種多様な種族が暮らしているが、トリィは不死種に分類されるゴースト、なのだろう。気付いた時にはこの月光の差し込む館にいて、それまでの記憶がないものだから、すべては憶測なのだけれども。トリィという名も、夢現にそう呼ばれるのを聞いたような気がして、自分の名前ということにしただけだった。
「わたくし、どんな靴を履いていたのかしらね」
その疑問に答えてくれる人はいない。おかげで、独り言が多くなってしまったわ、とトリィはまた呟いた。
館の暮らし
幾度となく夜に目覚め、朝に眠り、トリィは退屈を持て余していた。何しろ、どういうわけだかトリィはこの館から離れることが出来ないのだ。いや、正確にはこの館の敷地内からは、というべきだろう。玄関から外へ出ることは出来る。庭を散策することも。だが、門の外へはどうしても出ていけないのだった。
おまけに、ゴーストとしての特性なのか物に触れるのにも難儀する。ちょっと気を抜くと、手にしたペンも書物もすり抜けて落ちてしまうのだ。
「あら、まあ。仕方ないわね」
暇つぶしすら満足にできない自分の性質をその一言で受け入れて、トリィはただ館に漂っていた。
その夜も、トリィは月光に撫でられて目を覚ました。
今夜は何をしよう。何も出来ることはないのだけれど。中身のないことをぼんやりと考えながら、気の向くままふわりと移動する。
「……庭の薔薇でも眺めに行こうかしら。今の時期は、夜風が気持ちいいもの」
一階の応接室には、庭へ続く広い掃き出し窓がある。玄関まで行くのを億劫に思ったトリィは横着をして窓をすり抜けた。その際、特にこれといった感触はない。ただ一瞬、窓の厚さ分だけ視界がぼやけるだけだ。
手入れをされなくなって久しいはずの庭は、不思議と美しいままの姿を保っている。夜空の色を移して、白薔薇が薄青に花開いていた。
小さな客人
庭へ出て、そう間もない時だった。がさがさと、久しく聞いていない騒がしい物音が近づいてくる。さらには、ヒトの声までも。
「あーっ、なんだって安請け合いしちまったんだ! 売り言葉に買い言葉! そうさ、おいらが悪い! ペネルの野郎の口車なんかに乗せられちまって、こんな幽霊屋敷に来る羽目になるたあなあ! 何考えてんだ! って思いっきり怒鳴っちまいてえのに、悪いのはおいらと来た!」
声はどんどん近づいてくる。やがて、きちんと剪定された低木を掻き分けるように乱して姿を現したのは、トリィの腰くらいまでしかない背丈の女の子だった。くしゃくしゃの赤毛に木の葉が何枚もくっついている。大きなポケットのついたエプロンをしていて、何故か右手には木べら、左手には片手鍋を持っていた。
相手はトリィに気付いた様子もなく、べらべら喋りながらやってくる。
「いやんなるぜ、まったくよう、このいずれチェーニィ一の菓子職人になろうっていう、ルンダ様がようぅ!」
「まあ、お菓子を作る方なのね」
思わず言葉を挟んだトリィに、カッキン、と子ども――ルンダの動きが止まった。
「ギャアアアァァ――ッ」
「あら、まあ。驚かせてしまったかしら」
もんどりうつようにして後退った相手に、トリィの方もちょっと驚いて瞬く。空いた距離を保ったまま見つめていると、たっぷり十秒ほどの沈黙を置いて、ルンダはそろそろとトリィを窺った。
「わ、わるいお化けか⁉ 良いお化けか⁉」
「まあ、ゴーストにも良い悪いがあるのね」
「ある! 命吸うやつとか、殺意満々のやつとか、色を吸い取ってくるやつとかっ!」
「まあ、そうなの。わたくしは、たぶん、大丈夫よ。お腹は空いたことがないし、あなたをどうにかしようとも思わないし……色? は、よくわからないけれど」
ルンダはきょろきょろと周囲を見渡し、それからもう一度トリィを見ると、何かに納得したように大きく頷いた。
「ま、まだちっとばかり信用ならねーけどあんたはたぶん、良いお化け。そうだよな」
「ええ、そうよ。ただ、この館にいるだけなの」
「この家にまともな住人がいるたあ知らなかった。ここらじゃ有名な怪奇スポットなんだぜ!」
「知らなかったわ。わたくし、朝になると眠ってしまうし、外にも出られないから」
「ふぅん。ずいぶん不便なゴーストなんだな。さっきの話じゃあ、腹も空いたことないなんて! せっかくチェーニィに暮らしてるのに人生十割損してるぜ!」
ゴーストになったトリィはさっぱり覚えてないけれど、どうやらここはチェーニィという国で、食と芸術が盛んであるらしい。前者はともかく後者は、この館の瀟洒な造りや飾り棚に並ぶ品々を思えば納得であった。この館には、美しいものがたくさんある。生前のトリィがこの館とどういう関係だったのかはわからないが、きれいなものは好きだ。毎夜、退屈なりに倦むことなく過ごせるのは、トリィの物事を深く考えない大雑把な性格のためであったが、それに加えてこの館と館にあるものが好ましいからでもあった。
「ルンダは菓子職人を目指してるのね」
「おいこら! おいらは菓子職人を目指してるんじゃない、チェーニィ一の菓子職人を目指してるんだ! 今だってチェーニィ十くらいの菓子職人なんだからなっ! このルンダ様は子どもじゃないぞ、ハーフリングだっ」
ハーフリングは、他の人間種に比べて子どものような外見で成長が止まる種族だ。肝試しにやってきた子どもかと思ったが、すでに手に職持つルンダは成人しているのだろう。現状でチェーニィ十の菓子職人を自称するほどだから、長く修業を積んでいるに違いない。
それなら遠慮はいらないわね、とトリィはにっこりした。子どもに夜更かしさせるのは気が引けるが、大人なら構わないだろう。
「ねえ、よかったら中に入らない? わたくし、暇なの」
「い、いいぜ! でも、条件があるっ!」
びしっ、と木べらを持った手を突き出されてトリィは首を傾げた。
「なにかしら」
「ここに欲しいもんがあるんだ。ここが幽霊屋敷になるずぅっと前から知ってる五百歳のじーさんに聞いたから、間違いない!」
「まあ、ここはいつから幽霊屋敷なのかしら」
「そりゃあ確か、五年前だったっけな」
意外と最近なのね、とトリィは思った。
(つづく)
0コメント