土手青む
二月も下旬になり、肌を突き刺すような寒さが遠ざかると、朝の河川敷にも人が増えてきた。散歩中の犬が二頭も三頭も顔を合わせるようなことがあると、暫くは吠えたてる声が途切れず、それを叱ったり宥めたりする飼い主の声も混じってなかなかの賑やかさだ。
ほっ、ほっ、と息を弾ませて走る幹雄の横を、まだ二十代と思しき若者が颯爽と駆け抜けていく。あっという間に距離を広げる黒いランニングウェア姿はいかにも精悍で、幹雄は自身の真っ青なジャージに包まれた腹をちらりと見おろし、溜息を飲み込んだ。
まあ、良い。事務職としてデスクに張り付いて云十年、運動とはろくに縁もなく生きてきたのだ。今更アスリートのような引き締まった体を手に入れたいなどとは、高望みすまい。ジャージだって、いささか色合いが明るすぎるかもしれないが――実際に娘の瞳子(とうこ)には、高校の指定ジャージよりもダサい、と一刀両断されたのだが――通気性の良い素材で汗がこもらず、動きやすい。目立つから車に轢かれる心配がなくて良いわね、とは妻・由紀恵の言だ。
前を行く若者につられて乱れた歩調をいったん緩め、リズムを整える。少しでも無理をするとすぐに力尽きてしまうから、呼吸が楽な速度を保つことが重要なのだ。
去年六十五歳で定年を迎えた幹雄がこうして毎朝ジョギングするようになったのは、とあるテレビ番組がきっかけだった。
ある日の夕食後、のんびりと熱い茶を啜っていたときのことである。
あてもなくチャンネルを回していると澄みわたる晴天下の富士が映りこみ、幹雄はリモコンから指を離した。日本の象徴としてありきたりではあるが、幹雄は富士山が好きだった。自分が格別な特技もなく地味に年月を重ねてきたから、余計にあの威風堂々とした様に憧れるのかもしれない。世界遺産になったときには、我がことのように嬉しかった。
件の時期に散々流れていたような富士登山や富士の歴史についての番組かと思ったが、画面の右上には『人生を二倍楽しむひとたち』という特集タイトルが表示されている。退職後に若き日の夢を叶える人々を取材したものらしい。ちょうど紹介されていたのは、大手家電メーカーの営業を早期退職をして静岡に移り住み、アトリエを構えて夫婦で陶芸に勤しんでいるという同年輩の男性だった。
「お父さんも何か趣味を見つけたら。毎日家でごろごろしてたら、熟年離婚されちゃうかも」
向かいに座ってテレビを眺めていた瞳子が言う。口の減らないじゃじゃ馬娘は三十路直前で結婚し、家を出て久しかったが、先週から出産して里帰りをしているところだった。赤子を由紀恵に任せてごろごろしているのはお前の方だろう、と言い返したいところだが、暇を持て余している自覚のある幹雄は言葉に詰まった。
定年を迎えて肩の荷が下りたような身軽さを得たのは良いが、生まれてこの方これが趣味だと胸を張って言えるほど何かに熱中した覚えは無く、テレビや新聞を漫然と眺めながら時間を潰すばかりだ。せっかく自由な時間が出来たのだから友人と遊ぶのも良いかもしれないと思っても、旧友の多くは故郷におり、東京に住む幹雄が気軽に会うのは難しい。結婚以来の専業主婦である由紀恵は毎日何かしら立ち働いているが、長らく家のことを任せきりにしてきた幹雄には手伝いたくとも何をすればいいのか皆目見当がつかない。せいぜい、妻が掃除機を掛けている間は邪魔にならぬよう別の部屋へ移動するくらいだ。育児の手伝いなど、ますますもって門外漢である。里帰り初日、おじいちゃん抱いてみて、と瞳子から差し出されたおくるみを抱きとめた途端に大声で泣かれたショックも、まだ根強く残っている。
「母さん、何か言ってたか」
「うわ、弱気になってる。うちのお母さんは、亭主留守で元気が良い、なんて口に出して言うタイプじゃないでしょ」
それは事実だった。由紀恵は器量の良いおっとりとした女で、いわば古き良き良妻である。幹雄に世間で聞くような悪態をついたことは一度もない。知り合ったとき、彼女は幹雄が勤めていた会社の取引先の受付嬢で、同僚の間では絵に描いたような大和撫子だと評判であった。大勢いたに違いない求婚者の中からなぜか自分が選ばれ、妬まれながら式を挙げた後も、その印象は変わらない。目の前で笑う瞳子は、その笑顔こそ母親そっくりだが誰に対してもずけずけと物を言う性格だから、不思議なものだった。
「でもほんと、いっこくらい趣味つくった方が良いと思うんだよね。初孫が物心つく前にボケたら嫌じゃない?」
その初孫が隣室で泣き声を上げたので、瞳子はこちらの返事も聞かずに飲みかけの湯飲みを残して席を立つ。赤子は由紀恵が見ているはずだが、瞳子が抱いてやらなければ泣き止まない時も多い。
趣味、趣味か、と唸りながら何気なく視線を戻したテレビには、健康で長生きするためだといって、富士の見える川沿いをジョギングする男の姿が映っていた。
この河原から富士は望めないが、道幅は広く、ときおり橋上を通り過ぎる電車を眺めながら走るのも、そう悪いものではない。趣味がなくても健康長寿を志すことは出来ると一念発起して始めたジョギングは、雨や雪でもない限り毎朝の日課となっていた。当初はあっという間に息切れを起こし、筋肉痛にも襲われて散々だったが、徐々に走れる距離は伸びている。
一度決めたことはきっちり守って続けるのがお父さんの良いところ、と由紀恵が娘に話していたのを偶然に聞いてからは、怠け心が顔を出すことも減った。我ながら現金である。まるで、ちょっとした会話や仕種に一喜一憂していた若い頃のようだ。だが真冬の間も欠かさず続けたのだから、少しは誇っても良いだろう。
そんなことをつらつらと思い返しているうちに、足元の舗装が途切れていた。アスファルトの遊歩道から、踏み固められた土の地面になる。靴裏の感触が、若干、やわらかいものになった。
転がる石を避け、土手側に身体を寄せる。冬の間は花もなく枯れた葉も目立って寒々としていた土手だが、今はどことなく春めかしい気配がただよう。ふと見下ろした足元では、下草の合間から土筆が伸びていた。故郷の田舎ではよく摘んで食べたものだが、上京してからはろくに見た覚えがない。懐かしさに、頬が緩む。踏みつけぬよう気を付けながら足を運ぶ。
もう少し暖かくなったら、由紀恵も誘って二人で走ってみようか。不意に閃いた思いつきは、とても魅力的に感じられた。趣味は料理だという彼女がスポーツに親しんだという話は聞かないが、幹雄だってもともと運動が得意だったわけでも好きだったわけでもないのだ。瞳子が里帰りを終えてから、私も何か新しいことを始めようかしら、と何度か言うのを聞いていたから、案外張り切って応じてくれるかもしれない。二人でジョギングシューズやウェアを選びに行くのも良いだろう。
そう考えると、年甲斐も無くうきうきとした気持ちが湧いてきた。いつもならもう少し川沿いを走るところだが、今日は早めに切り上げて、かわりに家までジョギングのペースで向かうことにする。
朝のジョギングそれ自体が立派な趣味になっていることに気が付かぬまま、幹雄は逸る心をおさえて家路を走った。
(2017.02)
某番組で芸能人が詠んだ俳句をお題に小説を書こうという試みでした。
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