オーダーメイド・ライブ・ライティング
ろくに説明もされず、場所と時間を指定されて訪れた八階建ての雑居ビルを見上げる。メモを押し付けてきた友人いわく誕生日プレゼントだそうだが、とてもそんな雰囲気ではない。路地に面した一階は不動産屋、二階には歯医者。階段脇のポストを見るに他には企業の事務所がいくつか入っているようだが、肝心の、指定された七階のネームプレートは空欄だ。
道を間違えたのだろうか。それとも、メモの住所が間違っていたのか。あるいは、近頃流行りの隠れ家的カフェだとか?
いつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。もう一度メモの記述と現在地を確認して、階段に足をかける。エレベーターは故障中の張り紙がしてあった。
目指すは七階――とんだ誕生日プレゼントだ。
息切れはしないまでも、少々膝にきた。なんとか昇りきった目前には、やはりなんの看板も表札もない、素っ気ない扉があった。
歓迎ムードの欠片も感じられない風情は勝手に開けていいものか悩ましいものだったが、ここまで来て引き返す選択はない。エレベーターが故障していなかったら、違う判断をしたかもしれないが。
いざとなれば謝って引き返せばいいのだ。なにも、ここがヤクザの事務所で扉を開けた途端人生終了ということはあるまい。たぶん。
扉の先はサプライズパーティー会場で、本日の主役登場と共に華やかなクラッカーがうち鳴らされる可能性の方がよほどありうるはずだった。
インターホンの類いは見当たらない。やけくそのようにノックする。
「どうぞ、入って!」
予想外の即答に、ほとんど飛び上がるようにして一歩後退した。まるで警察官に追い詰められた犯人のように両手を肩の位置にあげたまま様子を見るが、それ以上の反応はない。人の声どころか、物音ひとつ聞こえてこなかった。
自らノックし、入室を促された以上、とるべき行動はひとつ――ええい、ままよ!
がちゃりとノブを回し、思いきって開けたドアの向こうへ身を滑り込ませる。直後、今度は種類の違う驚きに踵が浮いた。
本棚、そして本だ。
なんだか高そうな、艶のある焦げ茶の木製棚が廊下の左右に壁をなし、天井まで種々様々な背表紙がずらりと並んでいる。目に優しい暖色の照明が適度に空間を照らし、足元は落ち着いた藍色の絨毯敷き。さながら『お城の図書館』めいた空間だった。雑居ビルの外観からは想像もできない非日常空間である。奥には開けたスペースがあるらしく、本棚同様、質の良さそうな戸棚の角が見えている。
「いい趣味をしてるねぇ。君、はやく奥まで入ってきたまえよ」
こちらもなかなか心地が良い。そう言ったのは、最初に入室を促したのと同じ声だった。この部屋の主にしては妙な言い種だ。それを差し引いても、たまえ、などと言う人間を現実で見るのは初めてだ。妙に芝居がかっている。
怪訝に思いながら、本棚の合間を進む。
「やあ、お誕生日おめでとう。趣味のいい客で私も嬉しい。さ、座りたまえ」
開けたそこもまた、本棚に囲まれた空間だった。応接室というよりは書斎という方がしっくり来る。
絨毯と同系色のカーテンが下がる窓を背に鎮座するのは、重厚感ある木製のデスク。その手前に設置された三人掛けのソファへ勧められるまま腰を下ろし、デスクを挟んでフロアの主(仮)と向き合う。
色々と訳のわからぬことではあるが、相手はこちらが本日誕生日であることを承知であるらしいし、予約制の体験型イベントか何かだろうという気になっていた。
なんという誕生日プレゼントだ。エレベーターが故障していたことも許せそうだ。もちろん、壊れていなければもっと良かった。
「この部屋は客人の好みを自動で反映するようになっていてね。それはもう、ひどいときもあるのさ」
革張りの椅子に座る男が、俳優めいた仕草で肩を竦める。
短い黒髪をゆるくオールバックにし、糊のきいた白いワイシャツにダークグレーのベスト――デスク脇のコート掛けに揃いのジャケットがひっかけてある。服装でいくらか誤魔化されているが、筋トレかスポーツでも趣味にしていそうな体格の良い男だ。
凝った設定だと思いながら頷いていると、さて、と男は身を乗り出すようにしてデスクに肘をついた。
「私の仕事は物書きでね。君の友人から、君にひとつ物語を贈るように依頼されている」
なるほど、見ればデスクには万年筆と原稿用紙が置かれている。
「すぐには思い付かないかもしれないが……なあに、時間を掛けてもらっても構わない。棚にある本を資料にしてもいい。君がほしいと思うものが必ずあるはずさ」
これは予想外の展開だ。ライブペインティングならぬライブライティングというわけか。これは演出の前段階にすぎず、ほどなく謎解きやパフォーマンスがはじまる可能性もあるが、どちらにせよ愉快な話である。
好きに見て回るといい、という言葉に甘えて、まずはインスピレーションの助けを得るべく立ち上がった。
(2018.10)
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