双子姉妹の恋愛事情
チャイムが鳴り響き、下校時刻を迎えた教室は途端に賑わう。
西城あかりは宿題のプリントを鞄へ詰め込むと、早足に廊下へ出た。すぐ隣の教室へ半歩踏み込んで、声を上げる。
「しのぶ!」
窓際の一番前の席、ちょうど鞄を肩にかけた女子生徒が顔をあげ、小さく手を振った。すぐそばにいた男子生徒に一声かけてから、あかりの方へ歩いてくる。ほどなく、ぴったり同じ高さに見慣れた顔が並んで、あかりは上機嫌に微笑んだ。
西条しのぶは、あかりの双子の姉である。身長も同じなら、目も鼻も口も、なにからなにまで二人はそっくりだった。長く伸ばした髪を二つ結びにしているのも同じだが、周囲から見分けがつきやすいよう、あかりは高い位置で、しのぶは低い位置で結んでいる。あかりとしては一から十までお揃いなのが良いのだけれど、おっとりとした性格のしのぶには確かに下の方で結んだ髪型がよく似合っていた。
「あれ、久我原って言ったかしら」
歩き出しながら、ちらりと教室を振り返って言う。
クラスは違えど体育の授業は二組合同で行われるので、だいたいの顔と名前はわかる。久我原そう太は学年の中でも飛びぬけた長身の持ち主で、特に目につきやすかった。久我原クン、クールで良いよね、ツーブロックヘア最高! とは絶賛彼氏募集中のクラスメートの言だ。
「最近、あいつと話してること多くない?」
「うん……久我原くん?」
あかりの印象では、久我原は無口で誰彼構わず率先して話しかけるようなタイプには見えなかった。しのぶの方も、成績優秀で気立てがよいので慕われているが、自分から男子にぐいぐい話しかけるたちではない。
そんな二人がしばしば言葉を交わしているとなると、邪推もしたくなるというものだ。
面白くない気分を隠すことなく顔に出すあかりをよそに、しのぶは暢気にうなずく。
「この間の席替えで、席が隣になったの」
「それだけ?」
じと、と見つめれば、しのぶはくすぐったそうに笑った。
「それだけ」
嘘。絶対、嘘。あかりは確信した。しのぶのことは、誰よりもあかりがよく知っているのだ。
「……ね、今度の土曜日、モール行こうよ」
ひとまず納得したふりをして、話題を変える。新しいコートが欲しいと年が明ける前から話していたのに、なんだかんだ機会を逃し続けていた。ちょうど、駅前のショッピングモールはウィンターセール中だ。冬服はうんと安くなっているし、春物の新作も出ているだろう。
カフェで冬季限定のメニューも試したいし、と期待を募らせるあかりに対し、しのぶはやんわりと誘いを断った。
「土曜日は約束があって……」
「え~……じゃあ、日曜は?」
「ダ・メ・です。あかり、宿題溜まってるでしょう?」
むう、と唇を突き出して、あかりはむくれた。最近、こんなやりとりばっかりだ。もちろん、双子といっても四六時中一緒にいるわけではないし、クラスが違うから個々の友人だっている。別々に遊びに行くことも珍しくはないのだけれど、それにしたって近頃のしのぶは付き合いが悪い。
「根岸先生、未提出者には次の宿題三倍の刑ですって」
「知ってるけどぉ……」
一日では終わらないくらいの宿題を溜めているのは事実なので、食い下がることもできない。あかりは体を動かすのは好きだが、勉強は端的に言って嫌いだった。
「……終わらせたら、買い物付き合ってくれる?」
「予定が空いてたら、ね」
暗に、予定があるといわれている気がする。やっぱり怪しい。
週末のショッピングは諦めたものの、あかりの脳裏を占めるのは宿題のことではなかった。
間違いない――しのぶは恋をしている!
土曜日、時刻は午前十時すぎ。いつもの休日なら、二度寝から目覚めてもそもそと朝食を摂りにダイニングへ向かう頃合いに、あかりはショッピングモールの化粧室で姿見と向き合っていた。家を出る際にはぴったりと閉じていたコートの前を軽く開き、自分の姿を念入りにチェックする。
低く結び直した髪に、普段なら選ばない淡い桃色のワンピース。意識して淑やかに微笑めば、しのぶと瓜二つの少女がそこにいた。
ばっちりだと、あかりは満足げに笑みを深くする。
「しのぶの恋人になるかもしれないヤツなら、わたしが確かめてやらないとよね……」
そう、これからあかりは双子の姉のふりをして久我原に会いに行こうとしているのである。しのぶの約束は十一時。それよりも前に、しのぶとして久我原に会う。そして、マヌケな久我原があかりをしのぶだとすっかり思い込んだところで、次のように宣言するのだ。
『わたしとしのぶの見分けもつかないような男に、しのぶと付き合う権利なんかない!』
完璧な作戦だ。
しのぶのことを最もよく知っているのはあかりなのだ。もとより外見は全く同じなのだから、成り済ますことなど造作もない。
「待ってなさいよ、久我原そう太。身の程ってやつを思い知ることね」
ふふふと不穏に笑うさまはおっとりとしたしのぶでは有り得ないものだったが、最早あかりは鏡を見てはいなかった。
久我原が川沿いにある旅館の次男坊であることは同級生の間でそこそこ知れた話だった。跡継ぎは長男だが、休日や放課後には久我原も家業を手伝っているらしい。そういうところも実直で良いと女子の間で評価が高い。
駅からバスに乗り、あかりは迷うことなく目的地へと辿り着いた。毛筆体で久我原旅館と大きく彫られた石の門柱の向こうに、手入れの行き届いた松と風情ある瓦屋根の旅館が見える。
(お、お客じゃないんだから、正面から入るのは変よね)
けっして、立派な門構えに怖気づいたわけではない。けっして。
広い敷地を囲む土塀に沿って、うろうろと歩く。従業員が出入りする用の通用門がどこかにあるはずだ、たぶん。
「西条?」
俯きがちに角を曲がった直後、名前を呼ばれてびくりと肩が跳ね上がる。慌てて顔を上げると、竹箒を持った久我原が立っていた。
出たわね、と反射的に叫びそうになって、小さく咳払いする。ここにいるのはあかりではないのだ。
「こんにちは、久我原くん」
やわらかい声音を心掛けながら、ゆっくりと発音する。
久我原は数瞬の間をおいて、黙ったまま頷いた。ちゃんと返事しなさいよね、と内心カチンと来ながらも、笑顔を保つ。
「お掃除中ですか?」
「……これ片付けてくるから、中で待っててくれるか」
楽しみで約束の時間より早く来てしまったのだと言い訳を用意していたのだが、口にするより先に中へ入るよう促されて少し戸惑う。敵の懐に飛び込むのは勇気がいるが、まだネタばらしをするには早すぎる。あかりはどきどきしながら通用門をくぐった。
客室がある本館の裏手に位置するそこは、日当たりが悪く鬱蒼としている。手際よく集めた落ち葉を袋に入れて戸口に積んだ久我原は、あかりを本館の横に立つ建物へと誘った。二人の他に姿はなかったが従業員の休憩や食事に使われる部屋のようで、雑多な生活感がある。
「今、茶を淹れるから。適当に座っててくれ」
「……お邪魔します、ね」
靴を脱ぎ、畳敷きの部屋にあがりこむ。座卓を囲む座布団の一つへ、あかりはそろそろと腰を下ろした。
壁一枚向こう側がキッチンになっており、かちゃかちゃと茶器のたてる音が聞こえてくる。壁に貼られた標語やこの近辺の観光マップなどを物珍しげに見回していると、盆を手にした久我原が向かいに座った。
「お前の好物あるぞ」
そう言って差し出された皿には、小ぶりの茶饅頭がふたつ。地元で有名な和菓子屋のものだとわかったが、あかりは思わずムッとしそうになるのを堪えた。
「ううん……お昼前だし、お饅頭はあんまり……」
饅頭なんか、しのぶは全然好きじゃない。それを好物として勧めてくるなんて、マイナス百ポイントだ。ここにいるのがあかりだと気が付いていない時点でマイナス一億ポイントには相当するから、やっぱり、この男はしのぶに相応しくない。
確信を新たにしたところで、種を明かして糾弾してやろうと口を開いたあかりは、しかし、次の言葉で固まった。
「いつも食べてるだろ」
遠慮するなよ、と皿を押しやられる。ごく自然な様子だった。久我原は当たり前に、饅頭をしのぶの好物だと思っているのだ。
いつも、食べてるだろ――いつもと言われるほど、しのぶは此処によく来るのか。いつも食べるほど、饅頭を好きになっていたのか。しのぶが。あかりの知らないうちに。
ショックに固まるあかりをよそに、久我原は平然と饅頭の一つを手に取り、包装を剥がすとぱくりと口に放り込んだ。美味い、と珍しく小さな笑みを浮かべる。
「西条が来るっていうから、とっておいたんだ。油断すると、すぐ中居さんたちが食っちゃうからな」
「そ、そう……ありがとう」
そうまで言われたら、固辞もできない。喉を詰まらせそうにながら饅頭を一つ食べたのち、あかりは具合が悪くなったと言って暇を告げた。
「急にごめんなさい、久我原くん……」
「気にするな。お大事にな、西城」
とぼとぼと帰路につく少女の背を見送る久我原が笑いを噛み殺していたことに、あかりが気が付くことはなかった。
自宅に着くと、あかりは手洗いもそこそこに二階の自室へ駆け込んだ。髪をほどき、コートを着たままベッドにぼすんと倒れ伏す。投げ出したショルダーバッグが床に落ちて荒っぽい音を立てたが、隣室は静まり返っていた。
サイドボードの置時計は、十一時過ぎを示している。今頃、しのぶはあかりと入れ違いに旅館を訪ねているのだろう。
久我原から話を聞いて、あらあらまあまあと不思議そうな顔をしているに違いない。或いは、あかりが成り済ましたのだと弁明しているかもしれないし、ドッペルゲンガーかしらと笑っているかもしれない。そして、久我原と向かい合って嬉しそうに饅頭を食べるのかもしれない。
「しのぶぅ……」
急に双子の存在が遠のいてしまったような心細さを感じて、涙が滲む。何も考えたくない。しのぶに、あかりの知らない部分が存在するなんて。しのぶの一番そばにいて、一番よく知っているのはあかりのはずなのに。
ぐすぐすと鼻を啜るあかりは、やがて忍び寄ってきた睡魔に逆らわず目を閉じた。
●恋愛事情の真相、その一片
しのぶが帰ってきたのは、まだ空が明るい時分だった。
隣室のドアが開く音にはっとしたあかりは、がばりと起き上がる。昨夜は作戦を考えていてなかなか寝付けなかったこともあり、ぐっすりと眠ってしまった。おかげで、まだ着替えてもいない。昼食を食べ損ねたので、空腹を感じる。
玄関の靴を見て、あかりが部屋にいることをしのぶはわかっているはずだ。久我原に会いに行ったことについて何か言われるだろうかと身構えるも、壁の向こう側からは鞄を置いたりコートを壁にかける物音がするばかりだ。
「あかり、いるの? おやつを買ってきたから、お茶にしましょう」
ようやく聞こえてきたのは、そんな、のほほんとしたお誘いだった。
意味もなく足音をひそめてドアを半分だけ開けると、部屋着に着替えたしのぶが普段通りの穏やかな風情で立っている。
おかしい。いつも通りなのが、おかしい。
「しのぶ……帰ってくるの、早かったね」
「お昼ご飯だけの約束だったの。忙しい人だから」
女友達やクラスメイトと遊ぶときには、たいてい夕飯を済ませて帰ってくる。だから、やっぱり今日しのぶが会った相手は恋する相手に違いないと思うのだが――久我原が、しのぶにあかりのことを話さなかったのか? そんなことがあるだろうか。
「あら、あかり……」
しのぶが首を傾げるのに、ドキリとする。
「そのワンピース、好きじゃないって言ってたのに」
「えっ、あ、うん、まあね。たまには着ないともったいないかなと思って……」
とっさに髪へ手をやるが、ヘアゴムは帰ってすぐに解いたのだった。あかりが成り済ましていたなどと微塵も思わぬ様子で、しのぶは微笑んでいる。着替えたら降りてきてね、と階下へ向かおうとするのを、あかりは引き留めた。
「ねえ、……最近、いつも旅館に遊びに行ってるの?」
振り返ったしのぶの頬が、ぽっと赤らむ。それから、恥じらいを滲ませながら小さく首を振る――縦にではなく、横に。
「まだ、おうちに伺ったことなんてない……」
言うや否や照れた様子で早足に階段を下りていったしのぶを、あかりはぽかんとして見送った。
『いつも食べてるだろ』
『まだ、おうちに伺ったことなんてない』
矛盾する発言。どちらが嘘をついているかなんて、火を見るよりも明らかだ。
「あっ、あの男~~~~……ッ!!」
確かに、久我原はあかりのことを『しのぶ』とは一度も呼ばなかった。
『お前の好物あるぞ』
『西条が来るっていうから、とっておいたんだ』
思い返せば返すほど腹が立ってくる。
どうしてだが知らないが、久我原は最初からあかりだとわかっていたのだ。騙されたふりをして嘘をついて、あかりの動揺を楽しんでいたに違いない。何がクールだ。何が実直だ。とんだ性悪の大ウソつき野郎ではないか。
(大ッ嫌い……!!!!)
そもそも最初に騙そうとしていたのはあかりの方である事実は、すっかり忘却されている。
あかりがしのぶの本当の交際相手――久我原の兄――に気が付くには、まだまだ時間がかかるのだった。
(2020.03)
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