ホテルハドソン殺人事件1

ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。

アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。


第0章【粉々のクッキー】【エミリーの証言】

 旦那様――現在の雇用主を見送ったアドラ・アルムニアは、暫くホテルハドソンに残ることにした。チェックアウトは済んでいるが、暫くロビーやレストランで寛ぎたかったのだ。

 アドラの職業は大きな声で言えたものではないが、いわゆる愛人である。退屈と欲求を持て余す男性と契約し、金銭と引き換えに充実したひとときを過ごす。ベッドでの付き合いだけでなく、ちょっとしたパーティーに同行したり、知的な会話を楽しんだり、ボードゲームの腕を戦わせたりもする。

 ぱたた、ぱたり、ぱたた。

 手遊びに扇を開いては閉じ、開いては閉じる。骨のべっ甲が鮮やかな、ザクロの実が描かれた扇は、昨夜共寝した男から貰ったものだ。男は紡績産業で成功した資産家で、一年近くの付き合いになる。初めのうちは週に一度、多い時には二度三度と呼び出しを受けていたが、近頃は月に一度になっていた。契約は三ヶ月ごとだ。きっと次は更新されないだろう。

(どうやら御本命の女性が出来たご様子……仕方がありませんわ)

 男に対し仕事以上の関心はないが、収入がなくなるのは非常に困る。

 ホテルハドソンの客層は悪くない。すぐに次の金ヅル――失礼――雇用主が見つかるなどとは思っていないが、どこでどんな縁があるともわからないから、こうした場所での顔見せは重要だ。

「それにホテルハドソンのアフタヌーンティーは評判ですもの、今日はゆっくりすることにしましょう」

 午後三時半過ぎ。さっくりとしたスコーンと香り豊かな紅茶を堪能してカフェをあとにしたアドラは、なにやらエントランスの一画が騒がしいことに気が付いた。

「ほらほら諸君、これはお待ちかねの『事件』だよ! 遠慮なく調査してくれたまえ!」

 ホテルハドソンの従業員に挟まれた男が高らかに告げる。聞くところによると男はハリス・ニコラといい、指輪の窃盗疑惑の容疑者であるらしかった。その容疑者本人が、ホテルにたまたま居合わせただけの客人たちに事件の解決を呼び掛けているのだ。

 何という荒唐無稽。そも、一体だれが事件を待ちかねていたというのか?

 良識ある紳士淑女が眉をひそめそうな物言いに、アドラはピーコックグリーンの瞳をゆるりと細めた。扇を左手に持ち替え、顔の前に近づける。その意味するところは――『お近づきになりたいわ』。

「……お言葉に甘えて、調べさせていただいてもよろしいかしら」

「いいとも、ご婦人! 我が身の潔白を存分に確かめてくれたまえ!」

 ハリスは愉快な男だった。どこからでも来いとばかりに両手足を開くので、アドラは遠慮なくその体を探ることにする。

「まあ、……これはなんですの?」

 ポケットに差し入れた指が予想外の感触を伝えてくる。引き抜いてみると、なにやらバターの甘い香りが漂った。

「見ればわかるだろう、粉々のクッキーだ!」

 なるほど。言われてみればこれは砕けたクッキーのようである。ポケットの口をつまんで覗き込むと、そこにはクッキーが何枚も入っていた。

「おかしな方ね」

 ワハハ、と笑うばかりでハリスは気にした様子もない。ますます愉快に思いながら、アドラは一通りの身体検査を終えた。素人の手腕ゆえか、それとも男が真に潔白であるからか、クッキー以外に特筆すべきものは見つけられなかった。

「では、引き続き調査を頼むよ!」

「そうしてみますわ」

 逃げ出さぬよう監視されているハリスに微笑みかけ、アドラはその場を離れた。次はどこに向かうべきだろう。現場だというレストラン? それとも?

「面白いことになりましたわね」

 思わずほころぶ口元を手で隠す。鼻先を掠めた香りに、まずはクッキーを触った指を洗うのが先決だと思い当たった。

 手を洗いたいのだけど、と従業員に声を掛ける。何故か手に包帯をした従業員、エミリーはアドラに対応しながらもどこか落ち着かない様子だ。十中八九、盗難事件のせいだろうと思い、話をふってみる。

「 事件があったのですってね。確か、レストランで……?」

 事件ともなればホテルの評判に差し支えかねない。誤魔化されてもおかしくはなかったが、すでに隠せないと思っているのかエミリーは頷き、声を落として答えた。

「わ、私もレストランにいましたけど……その時の事は知りません。確かリード夫人は、若い男性とお食事をされていましたが……旦那様でしょうか?」

 ふぅん、と呟きながら、アドラは事件の渦中にあるその男女に関心を覚えた。エミリーの物言いからすると、あまり夫婦らしくない組み合わせだったのかもしれない。

 アドラは礼を言い、今度は現場であるレストランへ向かった。

  席へ案内しようとする給仕に、自分で選びたいからと断りを入れ、席を迷うふりをして店内の様子を伺う。

 ふと、壁際に並ぶ棚の合間から何かがはみ出していることに気がつく。常日頃なら従業員がまっさきに片付けそうなものだが、事件の調査中とあってあえてそのままなのかもしれない。

 近づいてみると、棚と棚の間に布が押し込まれているのがわかった。周囲を見回し、とめだてされる気配がないのを確認してそれを引っ張り出す。

 無残に焦げた布だろうか。白地が派手に紫色に染まっている。

「……何をどうしたらこんな風になるのかしら?」

  盗難と関係があるのかどうかもわからない。謎は深まるばかりだが、アドラの胸は好奇心に弾んだ。