ホテルハドソン殺人事件2

ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。

アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。


刺激的な握手と建築家のまなざし

 質の良いホテルというのは、用もなく滞在していても居心地の良いものだ。フロントに言ってもう一泊させてもらいたいような、そんな気分になる――もっとも、どんなに華やかに着飾ったところで一介の労働者に過ぎないアドラには過ぎた贅沢だ。愛人契約の報酬は女給等の賃金とは比べ物にならない額だが、アドラはそのほとんどを貯蓄に回していた。将来のために無駄遣いはできない。

 せめて今日一日は満喫しようと決めてゆったり歩いていると、窓の外、花盛りの庭園が目に入る。そういえば、昨日はろくに見る暇もなかった。空は薄曇り。散策にはちょうどよい気候だ。マンウォッチングを切り上げて、外へ出る。

 すぐ正面の区画では、見頃を迎えた薔薇が主役を張っていた。可憐な花をいっぱいにつけたアーチをくぐり、散策路を辿る。白、桃、深紅――香り豊かな大輪のオールドローズが目と鼻とを楽しませてくれる。

「素晴らしい!!」

 大音声の賞賛は、アドラが発したものではなかった。

 小鳥が逃げ出すようなその声に、アドラは興味を惹かれて歩を進める。ドレスの裾を揺らして花々の合間を奥へと進むと、無数の花房を垂らすキングサリに覆われたガゼボに行き当たった。曇り空の下で黄色い花が光り輝くようだ。

「『直線は人間に属し、曲線は神に属する』と言うが、ここではその両者が見事に調和しているッ!!」

 ガゼボの正面に立つ男が、興奮した様子で拳を握る。グレーの髪を短く整え、身なりは悪くないが貴族ではなさそうだ。自らの感動を溢れるがまま口にしているようで、石材の質感がどうの、表面の仕上げがどうのと言い募る。

 ガゼボでは艶のあるプラチナブロンドの少年が長椅子に座り、背もたれに肘をついていた。華奢な体に対し、いささかサイズがあってない衣装が微笑ましい。

 両者は知り合いめいた雰囲気であったが、少年は男の演説じみた語りには全く興味がないようだ。

「太陽の光が差し込むことによって、この段差の影が……っと、失敬!!」

 光を辿って空を仰いだ男が、アドラに気が付いて咳払いする。浅く焼けた肌に、うっすらと浮かぶ隈が見て取れた。声量は生来のものなのか、興奮を収めてなお大きかった。

 アドラは軽く足を引いて会釈した。

「ご歓談中、お邪魔して申し訳ありませんわ」

「だいじょーぶだよ、フレドリックが一人で盛り上がってただけだから」

 少年が気安く応える。フレドリックと呼ばれた男は自分が騒がしい自覚があるらしく、いささか気まずそうな顔で口元を擦った。

「申し訳ない! このホテルはどこをとっても見ごたえがあるので、つい我を忘れてしまうのだ」

「さっきからずっとこの調子なんだ」

 呆れた口調で言いながら立ち上がった少年は、アドラの前まで来るとにこりと右手を差し出した。

「俺はリシュリュー・チェルソム。気軽にチェルって呼んで」

「!!」

「?」

 いたって普通の、友好的な挨拶のはずだが、何故だかフレドリックは緑の目を見開き、チェルソムとアドラを忙しなく見遣る。訝しくは思ったものの、名乗られて黙ったままでは失礼だ。

「わたくしはアドラ・アルムニアと申します。アドラと呼んでくださいませ」

 雇用主候補になりうるタイプの男相手であれば他愛ない駆け引きを楽しむところであるが、相手は無邪気な表情の少年である。アドラは素直に名乗り、右手を差し出した。

 その直後――

「ぐあっ!!」

 何故かフレドリックがチェルソムの手を握り、声を上げていた。

「ご、ご婦人に悪戯をしてはいけない!!」

「も~、ちょっとした挨拶なのに」

 唇を尖らせたあと、ちろりと舌を出して笑ったチェルソムの手には小さなおもちゃが握られていた。知らずに握手をするとビリッとくるジョークグッズだ。どうやらフレドリックはすでに経験済みで、アドラを庇ってくれたものらしい。

 くす、と笑みがこぼれる。

「まあ、お優しい方。……ですが、わたくしも刺激的な握手に興味がありますわ」

 アドラが差し出した手を、二人が見つめる。ぱっと上がったチェルソムの顔には、心底愉快そうな色が浮かんでいた。

「ふふ、俺たち気が合うかもね」

「嬉しいですわ」

 アドラは今度こそビリッとした。

 これも何かの縁、と三人はガゼボに各々腰を下ろした。

「俺はフレドリック・バージェスという、一介の建築家だ。以前から名建築だと名高いこのホテルに興味があったので、あちこち見て回っている」

「勉強熱心でいらっしゃるのね」

「べんきょー熱心っていうかさ、フレドリックの場合ただのマニアだよ。建築ホリック。人のことまでロココだなんだって建築様式で例えてくるんだからさ~」

 年若いチェルソムに好き勝手言われても、フレドリックは否定できずに口をもごもごとさせる。

「う、うむ。それについては少々反省している。自分でも何の話をしていたかわからなくなることがあるからな」

 建築家は中流階級の中でも上層に位置する身分のはずだが、フレドリックは自身の社会的地位や対外的なステータスに一切こだわりを持たないタイプの男に見えた。職人気質なのだろう。或いはチェルソムが言ったように、マニア気質と言い換えてもよい。

「面白い物の見方をなさいますのね。わたくしのことはどんな風にお感じになられるのか、興味がありますわ」

「ふむ……」

 知り合って間もない仲で無茶かとは思ったが、フレドリックは真剣な様子で考え始めた。

「……家のかおりがしない方だな、という印象だ」

 やがてひねり出されたのは、そんな言葉だった。

「それって、つまり家庭的じゃないってこと?」

 茶化すチェルソムに、フレドリックは生真面目に首を横に振った。

「ム、妙なことを言ってすまない! 逆を言えば、人と人が交差するような流動的な場所が似合うということだな! ここのような素晴らしいホテルやバーラウンジ、カフェやレストラン、そういうよそ行きの華やかさをお持ちになっている!」

「まあ……」

 なるほど、とアドラは納得する。今のアドラは雇用主の趣味に合わせた装いで、いわば『男のアクセサリーとして価値のあるアドラ』を演じているようなものだ。プライベートの象徴である『家』の香りがしないというのは、言い得て妙だった。

「気を悪くしたなら申し訳ない」

「とんでもございませんわ。建築のことはわかりませんけれど、この素晴らしいホテルに相応しい装いをしてきたのですもの。自然なご感想と思いますわ」

 それに、と言葉を続ける。

「わたくし、いつか自分のカフェを開くのが夢ですの」

 だから、アドラの姿にカフェやレストランを想像させるものがあるというのは、嬉しい話だった。

「それは素晴らしい!! 改装や新築のご用命があれば是非ともお声掛けいただきたい!」

「面白そうだから、俺もそのカフェに遊びに行ってあげてもいいよ」

「ふふ、きっとお二人にご連絡しますわ」

 今はまだ、単なる夢物語。出会って間もない三人が交わす約束など、戯れのようなものだ。だが今日のこのひとときを励みに、きっと現実にしてみせようと、アドラは微笑んだ。