ホテルハドソン殺人事件3
ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。
アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。
ホテル探索【ゴネる探偵】【淑女の噂話】【5月29日の新聞】
レストランで起きた指輪盗難事件が解決してなお、ホテルハドソンにはどこか浮ついた空気が流れていた。当初容疑者として挙げられたあの探偵ハリス・ニコラに煽られ、素人ながらに捜査紛いのことをした名残であろうか。誰もかれもが好奇心と探求心を募らせているようだった。あるいは、他でもないアドラ自身が常よりも昂揚しているせいでそう感じるのかもしれないが。
もう探る謎もないというのに、やけにホテル内を歩き回ったり、人の話を聞きたい気分だ。
「あら……」
アドラが目に留めたのは、地下へ通ずる階段を上がってきた一人の男性だった。
褐色の肌に黒一色の髪と瞳。纏う礼装とロングコートも黒、手には白い手袋をはめている。六.五フィート近くありそうな高身長に加え、服の上からも鍛えているのがわかる体格の良さだが、粗暴さは見当たらない。衣服も仕立てがよく、長い手足に反して動きの控えめな身振りから貴人の付き人ではないかとアドラは推測を立てた。
気にかかったのは、地下から上がってきた彼の顔になんらかの感情の名残を見つけたように思ったからだ。普段なら気にも留めないような些細なものだったが、先述の通り、アドラは探求心を持て余していた。
「どうかなさいまして? 地下からいらしたようですけれど……まだバーは開店時間前なのですってね」
幸いにも、男はアドラを無下にあしらいはしなかった。ええ、と一つ頷いて相対する。
「随分な物言いをする野郎……いえ、紳士がおりましてね。一泡吹かせ……いえ、再度便宜を図ろうと馳せ参じましたところ……はて、なんとおっしゃられましたか」
ンン、と咳ばらいを挟みながら話す男に、アドラは開いた扇の下で笑みをこらえた。先ほど、アドラもバーの扉をのぞこうとしてやけにひねりの利いた話し方をする従業員に追い払われたので、男がどんな対応を受けたのか容易に想像がつく。
仮面と会員証について何か新しい話が聞けるかしら、と思ったところで、予想外の人物が登場した。
「ああ、そうですそうです。向かう途中の廊下に、名探偵殿がおられましてね」
「まあ、あの探偵さんが」
「警備員を相手にゴネ……いえ、熱烈な答弁をされておりました」
ボクは“シハイ人”に話があるのだよ! ――我の強い探偵が職務に忠実な警備員相手にぐいぐいと迫るさまが目に浮かぶようだ。
「支配人……ハドソン様と約束がおありだったのかしら。先ほどもお見えでなかったようですけれど」
「はて、そういえばまだお姿を拝見しておりませんね」
ホテルにいるのであれば騒ぎの際に姿を見せてもよさそうなものだが、もっぱらマイセンとエミリーという二人の従業員が対応し、支配人の姿はなかったように思う。
「支配人と言えば……ご令嬢方がエントランスの絵についてお話してらっしゃいましたわ。八年前から同じ絵が飾られているそうなのですけれど……ハドソン様には奥様はいらっしゃらないのですってね。あの絵の女性はお姉さまか妹さんか……ご家族でいらっしゃるのかしら」
「どうでしょう、わたくしは存じ上げませんが」
「ああ、ごめんなさい。こんな詮索、はしたないとわかっているのですけれど……先刻の騒ぎのせいかしら。なんだか、やけにひとさまのことが気になってしまうようですわ」
相手の反応によってはここで退こうと思いつつ顔色を伺うが、男は丁重な様子を崩さずに応じた。
「いえ、お気持ちわかります。ミス……」
「アドラと申しますわ」
「ミス・アドラ。申し遅れましたが、わたくしはジャレットと」
二人は簡易な自己紹介をし、小さく会釈を交わした。
「わたくしは主のために安全を確保せねばなりませんから、ホテル内の様子がわかるのはありがたく思いますよ」
見立て通り、ジャレットは貴人の従者であるようだ。主人が男性であれば自分の雇用主候補になるのだけれど、と勝手なことを考える。少しなりと益になるような話をしようと、アドラは見て回ったホテルの様子を思い返した。
「ホテルの方も、まだ事件のことで動揺しているのかもしれませんわ。先ほども廊下のソファに新聞が落ちていて……本来、そのままにしておくようなホテルではないでしょう?」
普段であれば、すぐに従業員なり清掃員なりが気が付いて回収しそうなものだ。それが放置されていたということは、人手が足りなくなっているか、気もそぞろになっている証だろう。盗難事件だけでなく、今夜予定されているという大掛かりな晩餐会も関係があるかもしれない。
「誰ぞが読み捨てていったのでしょうか。行儀の悪いことですね」
「ずいぶんとシワになっていましたから、何かを包むのに使っていたのかもしれませんわ」
脳裏に新聞の様子を思い描いて、ふと気が付く。
「そういえば、ちょうどハドソン様についての記事でしたわね。確か、五月二十九日の……」
「日付まで、よく見てらっしゃる」
「ふふ、たまたまですわ」
雇用主との話題作りのために努めて読むようにしているため、落ちているそれを見つけた時も習慣的に紙面へ目を走らせたのだ。しかし、一般的に日刊紙は紳士のものである。アドラは微笑んで誤魔化した。
「"緋色の花嫁"の研究にセシル・ハドソン氏が巨額の出資……という見出しでしたわ」
「ほう、支配人様が」
緋色の花嫁などというと詩的な響きがあるが、実際には致死性が高く、多量の出血の果てに死亡する恐ろしい疫病だ。イーストエンドを中心に流行中で、近頃の紙面によく上る話題である。記事は、ハドソン氏の出資により病の原因が発見される日は近いだろうと述べる内容だった。
イーストエンドといえばロンドンにおいて極端な低所得者層が暮らす一画だ。人口は常に過密で、貧困とあらゆる病気、あらゆる犯罪に満ちている。緋色の花嫁の凶悪性がさかんに語られる一方で研究がいまひとつ足踏みしていたのは、主な感染者が貧困層にとどまっており、資産のある上層中流階級や上流階級への影響が少なかったせいに違いない。
そこへ、ハドソンがいかなる理由かは知れないが巨額の投資をしたというのだから、記事になるのも頷ける。
「医学……あるいは社会貢献に関心の強いお方なのかもしれませんわね」
二人はそれぞれにまだ見ぬ支配人へ想像を巡らせた。
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