ホテルハドソン殺人事件4

ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。

アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。


ホテル探索【一階の様子】【ジェシカの話】【淑女の噂話】【スリの少年】

 このホテルが建築という観点からいかに素晴らしいものであるか、ひとときではあるが、フレドリックの講釈を聞いたおかげだろう。それまで気にもかけなかった階段の欄干のつくりや、柱の装飾に目を引かれる。ホテルで思い思いに過ごす人々だけでなく建物自体を観察する楽しみも得て、アドラはますます気ままに歩を進めた。

 そうして大きな柱の角を曲がった時、足元に柔らかな衝撃があった。

「きゃっ」

「っ……申し訳ありませんわ、お怪我はございませんこと?」

 頭上の装飾に気を取られていたせいで、足元にしゃがむ女性に気が付かなかった。かすかな声をあげてよろめいた相手に、アドラは慌てて声をかける。

「え、ええ……大丈夫」

「前をよく見ていなくて、失礼しましたわ」

「いえ、私こそ……」

 立ち上がった女性は、アドラよりもいくつか年上に見えた。薄茶色の髪を肩の少し上でさっぱりと切り揃え、紺地のドレスを身に纏っている。高級ホテルに相応しく装ってはいるが、どことなく他の女性客とは異なる雰囲気がある――着飾っていながら、その事に対して興味がなさそうに見えるのだ。実際、彼女はさっとドレスの裾をはらい整えただけで、汚れていないか心配する様子もない。

「お加減が悪いようでしたら、フロントへ声をおかけ致しましょうか? 医務室があるはずですわ」

「あ、いえ、気分が悪くてしゃがんでいたわけではないので」

 控えめな声が言う。それなら良かった、とアドラは微笑んだ。

 声が小さいのは、生来のもののようだ。地声の大きいフレドリックとは正反対だと思って、ひそかに可笑しくなる。

「さっきは指輪泥棒の事件なんかでゆっくり見て回れなかったから、一通りこの階を散歩してみようと思って……琥珀に夢中で気づけなかったけど、エントランスは上品な装飾なのに、どこか懐かしさを感じる空間ね」

「そうですわね、居心地の良いホテルですわ」

 煌びやかなだけでなく、落ち着いて寛げる雰囲気があるのだ。

「きれいに掃除されているけど所々が古めかしくて、歴史を感じるからかしらね。……そう思いながら歩いていたら、この壁の下の方に虫が止まっているように見えて」

 でも勘違いだったの、と残念そうにする女性に、アドラは好奇心が刺激されるのを感じた。普通の淑女なら、虫を見つけて近寄ったり、それが虫でなくて落胆したりはしない。

「虫がお好きですの?」

 リネットのくすんだ緑の瞳が輝いた。

「ええ! 虫の生態は多種多様で目を瞠るものがあるわ。嫌う人も多いけれど、彼らは一様に自分たちの種を繋ぐために創意工夫を凝らしていて、私たちには思いもよらないような生存戦略を考えつくの。知れば知るほど魅了されてしまうわ」

 相変わらず声量は小さいけれど、熱意のこもった言葉だった。蝶の表面的な美しさを愛でるようなそれではなく、心から虫に夢中であるらしい。

「でも、ここでシロアリを見つけようと思うのは失礼よね」

 アドラは微苦笑し、周囲を見渡した。

 一階の中央には庭園があり、その周囲をぐるりと取り囲むようにエントランスとレストラン、客室が配置されている。庭園には蝶や蜂などといった虫がいるかもしれないが、シロアリが巣食うような建物には見えなかった。

「私はお部屋を取ってないからわからないけど、どの部屋からもお庭が見れるなんて素敵! とっても新鮮だわ」

「ええ、散策したくなるのもわかりますわ。かくいうわたくしも、ホテルの中をあちこち見て回ってるところですの。建物が素晴らしいのは勿論、先ほどレストランであんなことがあったせいか、興味深いお話もちらほらと聞こえてまいりますし……」

 アドラが言うのに、相手も思い当たる節があるようで頷いた。

「私、知らずに来ちゃったんだけど、このホテルでは今日何か面白いパーティーが行われるのかしら」

「パーティー……そのことかどうかはわかりませんけれど、晩餐会があるというようなお話は耳に致しましたわ」

 アドラは傍にあったソファへ女性を誘った。腰を下ろし、簡単に名乗りあってから話を続ける。

「四階でジェシカという従業員さんと話したの。妙におどおどしていたけど、お喋りは好きみたい。でも内容はよくわからなくって……」

 女性――リネット・イーデンは従業員との会話を思い出しながら言った。

「今日は奇跡の日で、死んでも蘇るなんて素敵だっておっしゃってたわ」

「死んでも蘇る……それが本当なら、確かに奇跡の日ですわね」

 好事家たちが集まって交霊会でもやるのだろうか? だが、死者の霊を呼ぶだけなら蘇るとは言わないだろう。

「絶滅した昆虫が蘇るのであれば、是非お目にかかりたいわ!!」

「ふふ、本当にお好きですのね」

 リネットが昆虫学者であると聞いて、アドラは納得した。

 四階といえば、アドラが令嬢たちの噂話を聞いたのも同じ階だった。ジェシカという従業員には会わなかったが、もし会えたなら奇跡の日とやらについて詳しく聞いてみたいものだ。

「わたくしが四階に行ったときには、外出着をお召しになったお嬢様方がお喋りしておりましたわ。エントランスに飾られている絵は見まして?」

「あの女性が描かれた?」

「ええ、八年前からずっと同じものが飾られているそうなんですの。お喋りしてらした方の一人が、八年も老けないだなんて羨ましいと、ご冗談をおっしゃられておりましたわ。ただ、支配人のハドソン様には奥様がいらっしゃらないのだとか……ご家族の方なのかしら」

 あいにくと二人とも支配人であるセシル・ハドソンについて詳しくはなかったので、答えは出ない。

 四階に続いて、二階で見かけた光景を思い出したアドラは、注意を促す意味も込めてそのことをリネットに話すことにした。 

「そういえば、二階の廊下では少年が警備員と揉めていましたわ。どうやらスリ……置き引き? を疑われていたようで。どなたかの鞄を持って行ってしまったそうなんですの」

「指輪泥棒が捕まったと思ったら、今度は鞄だなんて」

「少年曰く、空っぽだったそうですけれど……それでも、勝手に持ち去ってはいけませんわよね。本人は盗ったのではなく拾ったのだと主張しておりましたけれど、このホテルに出入りするような身なりではありませんでしたし……」

 アドラも少女の時分に一家離散して貧困を味わっているから、物盗りのような犯罪に走る少年の気持ちがわからないでもない。だが、それでも犯罪は犯罪だ。愛人稼業がまっとうかと言われればそれは考え方によるとしか言えないが、アドラは越えてはいけない一線を弁えていた。

 勿論、犯罪に走る子供個人だけでなく、社会に問題があるのだと分かってはいる。アドラが犯罪に手を染めずに済んでいるのは、幸運に恵まれたからにすぎないのだ。

「幸い、鞄は持ち主の方がご自分で取り戻したようですわ。でも、気を付けないといけませんわね」

 アドラ同様、リネットも特に同伴者などはいない一人客のようだ。散策に気を取られているところへ何かあってはたまらない。

 お互い気を付けましょう、と二人は頷きあった。