ホテルハドソン殺人事件5
ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。
アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。
ホテル探索【休憩室の日本人】【怪しい演説家】【スリの少年】【5月29日の新聞】
あちらこちら、あの人この人。気の向くままに散策と会話を楽しんでいると、覚えのある姿が目に留まった。窓があるわけでもない壁をじっと見つめるさまは少しばかり異様だが、すでにそのひととなりを知っているアドラには、彼がこのホテルという建築を堪能中なのだと分かった。
「またお会いしましたわね」
「これは奇遇ですな!」
思わず近寄っていくと、壁から視線が外れ溌溂とした声が返ってくる。
建築家フレドリック・バージェスは、依然として声が大きかった。
「お邪魔して申し訳ありませんわ。改めてお礼を言いたかったものですから……おかげさまで、散策の楽しみが増えましたわ。フレドリック様にお会いしなかったら、わたくしはこのホテルの魅力に半分も気づけなかったでしょうね」
「今日はいい日のようです。少しでも建築に興味を持っていただけたなら、これほど嬉しいことはありません!」
目の下には隈が浮かんでいるというのに、瞳はどこまでも明るく活力にきらめいている。庭園でアドラの話を聞きながら見る間にカフェの設計図を描き上げたときも、こんな表情をしていた。影も形もない夢物語に設計図という形を与え、「貴方のカフェです!」と差し出してくれたことがアドラにとってどんなに得難く、嬉しい出来事であったか、フレドリックは考えてもみないに違いない。彼はただただ純粋に、建築というものを好いているだけなのだ。
「そうだ、休憩室はご覧になりましたか? 素晴らしいですよ! 図書館というほどの規模ではありませんが、本棚が用意してありましてね! 机や椅子もあり寛げるようになっているのです」
「まあ、それは気が付きませんでしたわ。何階かしら」
「確か、三階だったかと思います。私が訪れたときには数名がぽつぽつと本を読んでいるくらいでしたが……その中に東洋人の男性がおりまして。声をかけると跳ね上がって驚いておりました! ……私の声はそれほど大きいかな? いや、きっと本に集中していたのでしょう!」
それはどうかしら――とは思ったものの、アドラは口をつぐんだまま笑みを浮かべた。静かな休憩室にフレドリックの声はよく響いたことだろう。
「彼は日本人で写真技術を学びに留学に来ていると! 洞木明彦と名乗っておりました。まだたどたどしい英語でしたが、私は日本語など一切喋れないので大したものです!!」
「遠路はるばる極東からお勉強にいらっしゃるなんて、費用もですけれどさぞかし勇気がいったでしょうね」
ウツロギハルヒコ。異国の名前は耳慣れぬ響きをしている。
万国博覧会を機にヨーロッパで隆盛したジャポニズムは、未だ衰えることがない。アドラも雇用主からキモノを仕立て直したガウンを贈られたことがあった。契約が切れると同時に売り払ってしまったが、アイリスの模様の鮮やかさを今でも覚えている。
あの素晴らしい手仕事が生まれた国から来た男性とは、どんな人物であろうか。会ってみたいものだ。
「このホテルでは色んな国の方と出会う! ひとえにこのホテルがうつくしいからでしょうなあ……!」
フレドリックは惚れ惚れと壁を見上げた。彼の目には、アドラにはわからない壁の魅力がありありと映っているに違いない。
「わたくし、三階にも行きましたのよ。ですがちっとも気づきませんでしたわ。わたくしが見たものと言ったら……」
「何かありましたかな」
言い淀むアドラに、フレドリックが先を促す。アドラは気恥ずかしげに目を伏せた。
「新聞が落ちているのを見かけただけですわ。廊下のソファに……従業員の方もお忙しいのか、そのままになっていて」
「盗難事件のあとで、いつも通りとはいかないのでしょうな。指輪ひとつを巡って、なかなかに大変な騒ぎでしたから」
探偵の扇動で少なくない人数が証拠を求めてホテル内を歩き回ったようであるから、普段より乱れがあっても不思議ではなかった。
「ただ、面白いことも一つありましたわ。その新聞は、ちょうどこのホテルの支配人に関する記事でしたの」
「ほお、支配人の」
「イーストエンドの……いえ、『イーストエンドを中心に流行中の疫病"緋色の花嫁"の研究に、セシル・ハドソン氏が巨額の出資』、そう大きく見出しに書いてありましたから、少々興味を惹かれましたの。出血多量で死に至る恐ろしい病ですけれど、ハドソン様のおかげで、原因究明の日も近いそうですわ」
「それはいいニュースだ。しかし、廊下に読み捨てていくとは……」
「日付は5月29日のものでしたし、シワになっておりましたから、誰かがそこで新聞を読んでいたというより、何かを包むのに使っていたように見えましたわ」
言いながら、埒もない想像を膨らませる。
「ふふ、……一体何を包んでいたのか、どうして廊下で開けたのか、ホテルの支配人の記事が載っていたのは偶然なのか、そう考えてみるとこれも一つの謎のようで、もしかしたら事件に繋がっている可能性もありますわね」
「探偵殿が見れば解決してくれたかもしれませんな!」
探偵ニコラ・ハリスが落ちている新聞を指さして朗々と推理を述べるさまを想像して、アドラは笑みをこぼした。
「まあ、これは私の戯言ですけれども……二階では本当に小さな事件があったようですわ」
その光景を思い出して、軽く眉を顰める。
「身なりのよくない少年が警備員の方と揉めていて……どうやらスリの常習犯らしいのですけれど、鞄を盗もうとしたのを咎められていたようなんですの。本人は空の鞄を拾っただけだと主張しておりましたし、鞄は持ち主の方が自力で取り戻したらしいですけれど……」
指輪盗難事件を受けて好奇心を刺激されたアドラ同様に、この浮ついた雰囲気に触発されて悪心を催す者がいてもおかしくない。
「フレドリック様もお気を付け下さいましね」
「ええ! 大事なものは懐にしっかりと入れておきましょう!」
そういってフレドリックが押さえたのは、庭園で広げていた手帳の入っているポケットだ。財布よりも、建築に関するメモが詰まったその手帳の方がよほど大事であるらしかった。
「事件と言えば」
今度はフレドリックが何か思い当たったようで、話を切り出した。
「五階の廊下を歩いていると、何やら騒がしいことになっていましてね。怪しげな男が演説をぶっていたのです!」
まあ、と瞬くアドラの前で、フレドリックは殊更に胸を張った。
「そう! この十九世紀に、やはり"魔法"は存在する!」
今この瞬間、紛れもなく彼こそが演説をぶつ怪しげな男であった。何事かと集まる周囲の視線へ、アドラは愛想良く微笑んで扇を揺らす。なんでもありませんわ、どうぞお気になさらず。
「こんなような大仰な口調でですね、言うわけです」
演説の再演は続く。
「巷の人間が使う言葉は、もはや"カガクカガク"ばかり……そう、人類の鳴き声が"カガク"になってしまう前に……今こそ私は、"魔法"の存在を証明するのです!」
「魔法、とは……わたくし詳しくありませんけれど、オカルティズムのお話かしら」
そういえば、一階で知り合ったリネットから聞いた話の中にもオカルトじみた内容があったと思い出す。今日は死者が蘇る奇跡の日だという――魔法の実在を証明するという男の演説と何か関係があるのだろうか。
「さて、わかりません。ともかく男はカガクに多大な反発心を覚えているようで……俺は好きですけどね、カガク。カガクの発展の恩恵を建築も受けている訳ですから! 魔法の建築というのも見てみたい気はしますがね!」
何の話にせよ、フレドリックに掛かれば最後は建築に帰結するのだった。
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