ホテルハドソン殺人事件10
ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。
アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。
ホテルハドソン殺人事件 第一章
「何もせず、全てをなるに任せるというのも、また一つの選択だ。だがキミの中で、まだ今夜のデキゴトに納得のいかないモノがあるなら………この“事件”も、何かの手掛かりになるとヤクソクしよう。まあ、信じるだけ信じたまえ! なんせボクは、“名探偵”だからね!」
ホテルハドソン一階、一三三号室にて。
嵐のごとき探偵が去り、フレドリックとリネット、それにアドラの三人は黙したまま顔を見合わせた。
「今のは……どういう意味なんでしょう?」
「昼間と同じように、わたくしたちに証拠……なんらかの情報を集めるよう、仰っているのかしら」
納得のいかないモノがあるのなら、事件を知るために動けと、そういっているように聞こえた。
事件自体が何かの手掛かりになるとは? 探偵は、一体何を知っているのだろう。
どうやら、ハリスはすべての客室に同じことを伝えて回るつもりらしかった。次第に、扉の開閉音や、廊下をひとが移動する気配が伝わってくる。探偵の言葉を受けて、事件について知るために動き出した人々がいるのだ。
「……私が様子を見てきましょう。お二方はここでお待ちください」
「いえ」
「わたくしたちも行きますわ」
神妙な顔で立ち上がったフレドリックに、リネットとアドラはほとんど同時に声を上げた。フレドリックの気遣いはわかるが、あんな思わせぶりなことを言われて大人しく待っていろというのは無理な話だ。
「しかし……」
「一人にはならないようにいたしますから」
アドラが説得するのに、リネットも頷く。
「約束します! ずっと部屋にいるのは……えっと、その、ちょっと不安ですし」
「“何かある”とわかっているのに、それが何であるかわからないまま過ごすのは、危険があるかもしれない場所へ赴くよりも恐ろしいことですわ」
譲る気配のない淑女二人に、たっぷりの間をおいてフレドリックは折れた。
「……わかりました。では、三人で出ましょう。ですが、決して離れないように」
「ええ、もちろんですわ」
アドラの旅行鞄は、置いていくことにした。三人連れ立って廊下へ出る。
フレドリックは部屋に鍵をかけ終えると、二人に断って隣の部屋の戸を叩いた。数秒耳を澄ますが、静まり返っている。
「そちらの部屋の方は、お知合いですの?」
このホテルへは一人で泊まっているのかと思ったが、同伴者がいたのだろうか。
フレドリックは数十分前、部屋に入る前にも隣室の戸を叩いていた。その際も応答がなく、不在のようです、と言ったきりになっていたのだが。
何故だか、男の肩がぎくりと揺れた。
「フレドリック様?」
険しい顔をしているフレドリックを訝しく見返すと、やがて苦い響きの声が答えた。
「無事を確認してからお伝えしたかったのですが……一三二号室には、チェルが泊まっているのです」
「チェルさん?」
何も知らないリネットが首をかしげる横で、アドラはサァっと顔を青醒めさせた。
「このホテルで知り合った、お友達ですわ。……晩餐会に招待されていると、言っておりましたの」
「え、それじゃ……」
ラウンジの惨状を思い出したのか、リネットは言葉を途切れさせる。
重い、嫌な沈黙が落ちた。
「悪い想像をするのはやめましょう。まだ部屋に戻っていないだけの可能性も大いにある。混乱の中で怪我をして、医務室に運ばれた客も相当いるはずです」
フレドリックが生来の大声できっぱりと言った。なんだか憑き物が落ちた気分になって、アドラは頷く。
「ええ……ええ、そうですわね。きっと、無事ですわよね」
「そうですとも! また後で訪ねることとしましょう。案外、すぐに顔を会わせるかもしれませんよ」
「……チェル様も、好奇心旺盛な方ですものね」
「それなら、私たちより先に探偵さんのところにいるかもしれませんね」
拭い切れぬ不安はある。本人に何事もなかったとしても、惨状を目の当たりにしたであろう彼が何のショックも受けていないはずはない。しかし、今から封鎖されたラウンジへ行っても、チェルソムを見つけることはできないだろう。フレドリックの言う通りどこかで治療を受けているか、探偵の言葉を聞いて事件を調べ始めているか――とにかく、無事であることを信じるほかなかった。
エントランスまで来て、三人はいったん足を止めた。恐らくは同じ目的で地下の仮面酒場を目指す老若男女で、エレベーターホールは混雑している。
その様子を眺めたフレドリックは、むうと考え込んでいたが、やがて振り返って言った。
「やはり、お二人はここでお待ちください」
殺人現場へ淑女を連れて行くことに、彼は抵抗があるらしい。
「ここなら従業員の目もありますから、滅多なことはないでしょう。様子を見たら、すぐ戻ります」
アドラはリネットと目くばせを交わしたのち、頷いた。
フレドリックは女性二人を酒場に連れて行きたくない。アドラたちは新しい情報が欲しい。フレドリックが酒場へ行き、二人はエントランスで彼を待って情報を聞かせてもらう。この辺りが妥協点だろう。仮に殺人犯が潜んでおらずとも、混みあった場所に女子供がいては不慮の怪我を負う可能性もある。
「良いですか、決して一人にならないように!」
「はい」
「わかっておりますわ」
真摯に言い含めてから背を向けたフレドリックを、二人は頷きながら見送った。
「……」
「……」
人の大きな波が過ぎ去ると、荒れ果てたエントランスの姿が一層あらわになった。ぴかぴかに磨かれていた床には踏みつけられた跡のある紙切れや、騒動のさなか持ち主に別れを告げたらしい片方だけのイヤリングや靴、ほどけたタイ等がところかまわず散らばっている。従業員は客の治療や対応で、とても掃除までは手が回らないようだ。
「なんでしょう、これ」
手持無沙汰だったのか、リネットが一枚の紙を拾い上げた。アドラも傍へ寄って、紙面を覗き込む。どうも、小ギャラリーの展示内容に関する広告らしい。
「六月十二日、ということは今日やってたんですね」
「コーリッヒ・ヤッコイ氏……変わったお名前ですわね」
フレドリックの部屋からエントランスまでは小ギャラリー前の廊下を使うのが早いので、ついさっきも前を通り過ぎはしたのだが、展示内容にまで気が回らなかった。
立ったままで体力を消耗するのは思わしくない。少し離れたところにあるソファへリネットを誘おうとして、アドラは座面に開いた状態で放置されている雑誌に目を留めた。普段であれば手に取ることのないような、あまり質の良くない雑誌であるが、気にかかる文字列が見えたのだ。
「呪われた鞄の真相……?」
ついさっきリネットから聞いた話が脳裏をよぎる。“緋色の花嫁”にまつわる、悪霊憑きの鞄の話だ。手に取って記事へ目を走らせると、花嫁の死体ではなく、異国の王族の醜聞を記す文書の詰まった鞄を手にしたものが暗殺されており云々、という信憑性という点では悪霊の話と大差ない内容が綴られていた。だが、どんなに突飛な内容でも、今は“緋色の花嫁”について知識を増やしたいところだ。
「あっ」
「リネットさん、こちら……」
言いながら振り返ったアドラは、言葉を最後まで口にすることなく瞬いた。
「……」
紺のドレスを纏う淑女は、忽然と姿を消していた。先程拾った広告だけが元の通り床に落ちている。フロントの従業員は特に何か異常を見た風ではない。アドラが振り向く寸前にかすかに聞こえた声も、思い返せば喜色が滲んでいたように思う。
「虫、ですわね……」
リネットを喜びで突き動かすものと言えば、それしか思い当たらない。アドラが鞄の記事に気を取られている一瞬でいなくなるとは、素晴らしい俊敏さだ。この状況下でも研究対象への関心を失わない情熱もまた然り。
「……フレドリック様に謝ることになりそうですわ」
かの建築紳士はまだ戻らない。
エントランスに一人残るのを厭ったアドラが自らもまた地下へ向かうのは、それから間もなくのことであった。
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