ホテルハドソン殺人事件11

ツイッター交流企画『ホテルハドソン殺人事件』参加作品です。

アドラ・アルムニアが私のキャラで、話によりNPC或いは他の参加者様のキャラクターをお借りしています。セリフの一部は公式による提供、または他の参加者様とのキャラロールでのやりとりでいただいたものになります。


第一章【ルクレアの証言】【氷像の広告】

 チン、と小さくベルが鳴り、エレベーターが地下に到着したことを告げる。アドラは躊躇いがちにカゴを降り、そして立ち止まった。夕方にあてもなく訪れた際は閑散としていたフロアには、従業員ばかりでなく事件について知りたがる男女の姿が多数見て取れた。

 その中に先行したはずのフレドリックやはぐれたリネット、はたまた未だ再会の叶わぬチェルソムがいやしないか、アドラはじっと目を凝らしたが、それらしい姿は見つからず嘆息する。

 地下と上階を繋ぐのはエレベーターだけではなく、すぐそばに階段もある。運悪く入れ違いになったのかもしれないし、あるいは大胆にも店内へ立ち入っているのかもしれないが、アドラ自身がそこまで踏み込む勇気はなかった。

 すぐに立ち去る気にもなれず、ふと目に留まった壁の貼紙を一通り読んでみる。特筆するような発見は得られぬまま読み終えてもう一度視線を店の入り口あたりへ戻すと、青いキャスケットをかぶった青年がつんのめるようにして戸口から出てくるのが見えた。

 帽子と同系色のベストに首元へ結ばれた黄色いリボンが鮮やかだ。振り返り、何か言っている。追い払う仕草をする手は店内にいる刑事のものか。すげなくあしらわれて尚、青年は熱心に聞き取りを行っているようだった。

 やがて場所を移そうと考えたのか、エレベーターに向かって――つまり自身の方へ足早に歩いてくる青年へ、アドラは控えめに声をかけた。

「あの、もしよろしければ、どんなお話をなさっていたか伺っても?」

 思索から引き戻された青年がぱちんと瞬く。

「事件のことが気にかかって降りてきたのですけれど、どうにも近寄りがたくて……」

 遠巻きに様子を伺っていたのだと伝えると、青年は酒場をちらりと振り返り、納得したように頷いた。

「ええ、ボクでよければお話しますよ。現場からボクを閉めだ………その、現場に居た刑事さんから聞いたのですが……」

 得た情報を頭の中で整理するそぶりを見せながら、青年は話し始めた。

「開店から事件まで、酒場を“出ていった”ヒトは2人だけだったそうです…………まぁ、コレ。刑事さんも聞いたハナシだそうですけど。酒場の従業員から」

「刑事さんによる捜査はもう始まっておりますのね。そのお二方が誰なのかは、もうわかってらっしゃるのかしら」

 単純に考えれば、その二人のうちのどちらかが犯人ということになろう。そうでなくても、事件前後の酒場の様子を知っている貴重な人物だ。すでに特定できているのであれば、解決は近いのではという希望が見えてくる。

 そう思ったアドラは、しかし青年が続けた言葉に小首を傾げた。

「でも、『“決定的な証拠”があるから』ってあまり気にしてないみたいです」

「……決定的な証拠、だなんて、刑事さんはずいぶん確信を持ってらっしゃいますのね。もちろん、本当でしたら喜ばしいことですけれど」

 目撃者かもしれない二人以上に決定的な証拠とは、一体何であろうか。フレドリックから伝え聞いたダイイングメッセージのことが脳裏をよぎるが、あれには鵜呑みにできない不審な点があったはずだ。鏡文字になったふたつのS――刑事はその謎を解いたのだろうか。

 気にはなるが、それは目前の青年に問いただすことではない。アドラは一旦疑問をわきに置いて、礼を述べた。

「ありがとうございます。わたくしのようなただの客はじっとしているのが一番だと分かっておりますけれど……こんな状況では、知らないことの方がよほど恐ろしくて」

「……ボクも、そう思います。“真実”はジブンの目で確かめなければならない」

 はっきりと言い切る青年のマラカイトの瞳に、若々しい正義感以上の何かが煌めく。

「……ボクは必ず、今夜の真実を“全て”見つけ出します」

 恐怖や不安を誤魔化すためではなく、彼は真実を追究する使命を己に課しているらしかった。

 自身よりいくらか年若い青年の姿にアドラは頼もしさを覚え、さわがしかった心の内が幾分静かになるのを感じた。

「……そういえば。ボクこの酒場めがけて一直線だったから、上の階のコトはあまり知らないのですよね。上の階に変わった様子はありましたか?」

 今度は青年の方から問われて、アドラは一階の様子を思い返した。

「ええ、当初の……いつ乱闘が起きても可笑しくないような騒ぎは収まっておりますけれど、冷静になったというよりは放心状態と言った方が正しいですわね。エントランスは物が散乱して、それはひどい有様でしてよ」

 いくら怒号を響かせようが泣き崩れようが百余名が亡くなりホテルが閉鎖されたという事実が揺るがないことを悟って、従業員に詰め寄っていた客たちはすっかり意気消沈したようだ。種々様々なものが散らばったエントランスは、まさに嵐が去った直後の様相で未だ秩序が取り戻されるには至っていない。

「今日、六月十二日に小ギャラリーで氷像が展示される旨を知らせる広告も落ちていましたけれど、昼間も夜も、それどころではなくなってしまいましたわね」

「ヒョウゾウ……って、コオリの像ですか!?」

 青年は展示のことを初めて知ったらしく、驚いた声を上げる。ついさっき垣間見せた決意の表情とは打って変わった様子がいかにも素直で、好ましい。

「というコトは……あのギャラリー、冷凍庫なのですか!?」

「さあ、どうかしら。そういったことは聞いておりませんけれど」

「冷凍庫でないのなら……。今ごろあのギャラリー、ビショビショですよね」

 英国の夏は比較的涼しいものだが、確かに氷像の展示に適した季節とは言い難い。だからこそ客の関心を引く側面もあろうが、青年の言うことはもっともだ。

「もしかしたら特別な機能が備わっているのかもしれませんわね……。作者のコーリッヒ・ヤッコイ氏という方も、お気の毒なことですわ」

 もっとも小ギャラリーの前を通った際にそのような展示があった覚えがないので、もしかするとなんらかの理由で中止や延期になったのかもしれない。仮にそうだとしても、ホテルがこんな事態になってしまっては再開催も怪しいものだ。

「“奇跡”に“疫病”、さらに“殺人”まで重なってしまうとは……」

 同情するように小さく首を横にふる青年にアドラも頷き、微苦笑をこぼす。

「……わたくしたちも他人ごとではありませんでしたわね。お互い無事にホテルを出られるよう、祈っておりますわ」

 改めて話の礼を述べると、青年は生真面目な様子で姿勢を改める。

「コチラこそ、お話ありがとうございます」

 どうかご無事で、と言う青年に会釈を返し、アドラはその背を見送った。

 ホテルハドソンの夜はまだ続く。けれどきっと光が差すときが来るのだと、そう希望を持てるような邂逅であった。